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タイトル 釜山,海と陸の交差路
会期 2021.6.2~2021.8.30
会場 企画展示室 1

展示概要
釜山広域市と国立民俗博物館は、2021年「釜山民俗文化の年」を迎え、特別展「釜山,海と陸の交差路」を開催します。今回の特別展は、地域の民俗文化を発掘する事業である「地域民俗文化の年」の一環であり、2019年から20年まで釜山広域市と国立民俗博物館が行った学術調査の結果と従来の学術成果を基にした展示であります。
「釜山」といえば、よく海を思い浮かべるが、朝鮮時代までは内陸にある「東莱」が釜山の中心でした。その後、海洋とともに成長し、今日、釜山は韓国を代表する海洋都市となりました。海に面した釜山は人と物資、そして文化の交差路であり、韓国初の近代開港場でもあります。韓国戦争の当時は、避難首都として国を支え、最初の直轄市として輸出貿易の拠点の役割を果たしました。本特別展では、韓国の歴史のなかで時空間的に非常に重要な部分を占めす、釜山と釜山の人々の暮らしを振り返ってみます。
本展は、海洋の関門としての歴史を紹介する「1部:人·物資·文化の交差路、釜山」と、釜山の人々の暮らしと民俗を紹介する「2部:農耕文化と海洋文化の共存、釜山」で構成されています。
本展を通じて、様々な文化が共存する釜山を理解し、その中で生きている活気に満ちた釜山の人々の暮らしに共感できる機会になると思います。



箕山の風俗画から民俗を探る



1. 人‧物資‧文化の交差路、釜山
釜山は韓半島の端で人と物資が行き来する、海の出入り口の役割を果たしました。朝鮮時代には通信使が行き来し、倭館においては日本からの使臣を迎えて交易する対日交流の中心地であり、最初の近代的開港地として新しい文物が入る通路でもありました。しかし、日本による植民地時代には、収奪と強制動員の道にもなりました。
韓国戦争の時に、釜山港に避難民や軍需·援助物資が押し寄せ、各地からの人や物資、文化が入り混じった今の釜山の姿が作り上げられました。1970年、京釜高速道路の開通により釜山の産業は全国に広がりさらに成長し、コンテナ専用埠頭の建設により輸出貿易の前哨基地となりました。釜山はこのように人·物資·文化の交差路として外部と交流し、時には敵の侵入に抵抗しました。この歴史は、不義には抗いながらも、新しい文化には開放的な釜山の人々の気質となり、今日に至っています。


2. 農耕文化と海洋文化の共存、釜山
朝鮮時代までは、釜山の主な生業は農業でした。釜山の農耕文化は、村祭のようなこととして始まった仮面劇「野遊(ヤリュ)」、農業共同体の労働歌から始まった「農庁遊び」(農庁(ノンチョン)・ノリ)のような民俗として今まで伝えられています。
海も釜山の人々にとって生活の場でありました。漁をする漁村の暮らしは、「漁師遊び」(漁坊(オバン)・ノリ)や「別神祭祀」(別神(ピョルシン)グッ)などの文化財へと引き継がれています。海は男性だけでなく女性にとっても生計の手段となりました。海路の角に位置する影島(ヨンド)は「釜山海女」と「カンカンイおばさん(訳注_船底や側面に付いた貝殻や錆を落とす女性勤労者)」の職場となりました。海と川が出会う洛東江(ナクトンガン)下流にはシジミが多くシジミ村ができて、釜山の朝を開く「シジミおばさん」が誕生しました。海辺の魚市場は、「チャガルチおばさん」が家族を支える生業の場として今も続いています。このように釜山は農耕文化と海洋文化が共存する多様性を持つ場所であり、二つの文化は今の釜山の根本となり、また、これからの釜山の土台となるでしょう。

掲載日 2021-06-02