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タイトル 民俗学者金泰坤先生が見た韓国巫俗
会期 2015-04-22 ~ 2015-06-22
会場 ExhibitionⅠ

poster


この展示は南剛金泰坤(1936~1996)が一生かけて取り集めた巫俗に関する遺物を紹介する展示である。金泰坤は韓国巫俗に関し深く研究した民俗学者で、1960年代からクッ現場を粘り強く記録し、滅亡の危機に陷っていた巫俗資料を救った。この資料を管理してきた夫人孫章蓮(ソン・ザンヨン)は、2012年に国立民俗博物館に巫神図と巫服・巫具などの遺物と写真・映像等のアーカイブ資料計31、742点を寄贈した。国立民俗博物館は、遺物寄贈の意を称えようと、資料集『韓国文化の原本をさがして』を発刊し、同展示を準備することにした。


展示は、寄贈資料を中心に金泰坤の一生と韓国巫俗に対する彼の学問的な見方を表現するため‘第1部_金泰坤とは誰なのか?、
第2部_心霊との疎通を記録する。
第3部_心霊の世界を記録する。
第4部_北方の心霊を求めて’から成る。
同展示で韓国巫俗に心酔して調査・記録・研究した民俗学者の生涯とその結果物である韓国巫俗に触れるきっかけになるだろう。


第1部_金泰坤とは誰なのか?

金泰坤は民俗学者であり、また国文学者として一生涯民俗現場で調査・記録と研究を続け、『韓国の巫神図』など、著書34冊と「黃泉巫歌硏究」など、論文と執筆物約200点を残した。大学時代から民俗学に関心を持ち全国を練り歩きクッ現場を訪れた。韓国巫俗研究に多く注力し、'原本思考'理論を立てることに至った。原本思考は'すべての存在は未分性を基づき循環し合いながら永久に持続する'という独自的な理論で、以降この理論を適用、証明に尽力した。ここに留まらず、モンゴル・シベリア地域まで研究を広げるなど、比較民俗学者としての道を歩んだ。しかし、1996年、61歳という若い年齢でこの世を去り、彼の研究も止まらざるを得なくなった。それでも著書と論文、それと後継学者らによって学問の流れは繋がっている。


第2部_心霊との疎通を記録する

巫俗は自然との関係から形像化された神と疎通することで現実の問題を解決しようとする信仰である。金泰坤は、巫俗現場に入って神と人間の疎通がどのように行われるか注目し、それを記録することで巫俗の本質を理解することに取り組んだ。これを記録するための金泰坤の努力は、調査ノートと写真、映像などによく現れている。金泰坤は1972年、南怡將軍祠堂祭(ソウル特別市無形文化財第20号)を調査し、映像でこれを記録した。この祭儀はソウル龍山区龍門洞に伝承されているマウルクッとして1972年を最後に姿を消したのだが、1983年にクッを復元する過程で金泰坤の調査記録と映像が決定的な根拠になった。


第3部_心霊の世界を記録する

神は自然の絶対性を認識し、これを人格化したものだといえる。それでも、神は見えない存在であるため、人間はこれを簡単に目にし、会うべく神堂、巫神図、巫具と巫服、巫歌などに形像化している。クッは心霊の形像を描いた巫神図の掛かっている神堂などでシャーマンが巫服と巫具を身につけ、言葉と行為で心霊と疎通する過程である。金泰坤は、心霊の世界を調査・記録することで、消滅の危機にあった巫神図と巫具を収拾した。このように収拾された様々な巫神図・巫服・巫具などをこのスペースでは、比較して見ることができる。


第4部_北方の心霊を求めて

金泰坤は、デンマークのコペンハーゲン大学客員教授時代(1982-1983年)シャーマニズム関連書籍に触れ、シベリア地域調査の必要性を感じた。彼は、1990年に以降韓国文化と大陸文化を比較・研究することで、民俗文化の根源を探索し韓国巫俗との連関性を探すためにモンゴルやシベリアなど海外シャーマニズム調査を始めた。7度にわたるシベリア調査を進める中で突然襲いかかってきた病魔に倒れ、1996年1月25日この世を去った。彼の机の上には、未完成の原稿「韓国民俗と北方大陸民俗の親縁性」だけがぽつんと残されていた。

掲載日 2015-04-24