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タイトル 懲毖録
会期 2015-08-05 ~ 2015-09-30
会場 ExhibitionⅡ

징비록 전시 포스터

展示を開いて
国立民俗博物館と韓国国学振興院院は、国立民俗博物館の常設3展示館にて豊山柳氏家の家族の物語 「忠孝以外に努めることはない」という展示と連繫して「懲毖録(ジンビロク)」特別展を開催します。 「懲毖録」とは、柳成龍(リュ ソン リョン)(号は西厓、1542〜1697)が壬辰倭亂の歷史的事実を回顧しながら、後日の警戒のために謹書した文書です。この文書には、彼が一生「忠孝」を強調し、実践しようとした彼の真実の心である「忠」が含まれています。この展示を通じて国のための「忠」という意味を再考してみて頂ければと思います。


1部 領議政として壬辰倭亂を克服する。
柳成龍は、壬辰倭亂の中、約7年間にわたって領議政と都體察使として国政を運營していました。彼は戦争前に倭敵の侵掠に備えるため、李舜臣(イ スン シン)を登用し、全国の城郭を修築しました。1592年4月壬辰倭亂が起る時、彼は宣祖(ソンジョ)(朝鮮時代の第14代国王、1552~1608)を仕えながら民心を收拾し、明朝と連合して平壌城を修復しました。また、北方蛮夷の侵入に備えるために、軍隊養成と各種武器製造などにも力を入れました。長期間の戦争の疲勞で病にかかりましたが、彼は壬辰倭亂が終わるまで領議政として国難を克服するために努力しました。


2部 後日の警戒のために「懲毖録」を執筆する。
李舜臣が戰死して倭亂が終わる頃に柳成龍は、日本との和親を主張し、国を誤った罪目ですべての官職を削奪されました。それから故鄕である安東(アンドン)の河回(ハフェ)に帰って来ました。そこで彼は、玉淵精舍(オギョンジョンサ)で弟子を育ちながら、朝鮮の後日のために、自分自身が経た壬辰倭亂の経験と歴史的事実などを整理し、彼の「忠」を示すために警戒し、謹む気持ちで「懲毖録」を執筆しました。

掲載日 2015-08-07