, タイトル, 会期, 会場, 内容, カテゴリー, 掲載日, 파일 상세정보 입니다.
タイトル 飯膳の交わり
会期 2015-12-09 ~ 2016-02-29
会場 ExhibitionⅠ

韓国国立博物館では、日本国立民族学博物館と共同で2015年 「日·韓国交正常化50周年」を記念して、共同企画展「韓日食博-わかちあい·おもてなしのかたち」(2015.8.27~10.10、国立民族学博物館大阪)に続き、 「밥상지교(飯膳の交わり、飯床之交)」を準備しました。 今回の展示は、20世紀から現在に至る日·韓両国の食の交流を、 「飯膳」に主眼をあてる場であります。


밥상지교 전시 포스터


衣食住の中で食は、人間の最も重要な行為の1つであり、国によってそれぞれの歴史や固有の味を持っています。韓国における食も、他国からの影響を受け、時代により社会像を反映しながら現在にまで至ります。


約1世紀にわたる韓国食の変化を探訪できるように、展示の構成は、次の7つの主題からなっています。「洋食·日食(日式·韓食:文物往来として行き交う食」、「調味料と醸造醤油:画一化で失った固有の味」、「ラーメン:昆·粉食政策で生まれた第2のお米」、「トンカス(豚カツ):日本風の西洋料理が韓国式に定着」、「電気炊飯器:手軽さを得て、消えたお焦げ」、「おでんと焼き肉:定着と変化を経て落ち着いた日·韓の食」、「キムチチゲとラーメン: 境界を超えた日·韓の食」。


今回の展示を通じ、食における「区分」と「境界」が徐々に消えている姿から、我々の食の現在と未来を考える機会になれば幸いです。



西洋料理·日本料理·韓国料理:
文物往来として行き交う食


韓国では1876年開港以降、諸外国との往来が多様化し、外来文物の輸入が加速することで、様々な食が入って来た。その結果、「ミートボール」、「サンドウィッチ」、「パン」のような洋食が直接入ってきたり、「豚カツ」や「カレー」のように日本風洋食や「おでん」、「天ぷら」、「寿司」のような日本料理が韓国に紹介された。当時の人々は、西洋と日本料理に関心を持っていた。そして、その「不慣れな」食べ物は、新聞や雑誌の料理記事、料理講習会、学校の授業を通じ、幅広く伝播された。一方、色々なきっかけで韓国料理が海外に紹介もされた。薄田斬雲の『朝鮮漫画』には「朝鮮料理の中で一番は神仙炉」だという評が登場する。また韓国料理である ミョンラン(明太子)を味わった日本人によりめんたいこ(明太子)料理が日本に伝われた。



調味料と醸造醤油:
画一化で失った固有の味


韓国に洋食と和食が紹介された以降、1910年には調味料会社である「味の素」が京城で特約店を開き、1930年代から積極的に経営してから、調味料が韓国に幅広く紹介されるようになった。 また、「ウェガンジャン(倭艮醤、倭醤油)」と呼ばれる日本式の醸造醤油工場が建てられるなど、日本系の食料産業会社の進出が活発になった。 1945年光復以降には、韓国で新しいブランドの醸造醤油が生産され、調味料も独自に開発された。調味料と醸造醤油により、各家 固有の味と個性が消え、画一化されたことは、今日における韓国の食文化へと影響を及ぼしている。



ラーメン:
昆・粉食政策で生まれた第2のお米
Ramyeon;


韓国では、1960年代初め、米の不足問題を解決するために、国家政策として昆·粉食を奨励した。この昆·粉食は、様々な標語とポスターで作られ、町と家庭、職場、学校などに至るまで急速に幅広く伝播された。粉食の奨励策としてパンと麺の消費量が増えたが、特に目立つのはインスタントラーメンの爆発的な成長である。インスタントラーメンは、日本で1958年に開発され、韓国では、1963年に初めて生産された。生産初期には食べ慣れな味から、あまり売り上げはよくなかったが、次第に味が好まれ、また調理が簡単ということから一気にに人気が高まり、売り上げを伸ばした。結果として、「第2の米」という別称も得た。近年、韓国国民1人当たりのインスタントラーメン消費量は、世界1位を占めるようになった。消費は、その元祖である日本よりも上回り、韓国式インスタントラーメンが飯膳を占領している。



トンカス(豚カツ):
日本風の西洋料理が韓国式に定着


韓国における西洋食は、西洋の調理師や食堂を通じた流入が主であったが、日本を通じた流入もある。例えば、軽洋食の「トンカス」である。トンカスは「cutlet」の日本式表記であるカツレツに「豚」を付けた「トンカツ」の韓国式の名前でり、カクテキとたくあんを加えて韓国式の洋食として定着した。1970年代外食産業が本格的になった時に軽洋食屋は、高級レストランの代名詞として、お見合いの日のような特別な日に行く所であった。最近では洋食を手軽に食べることができるが、1980年代以前は、匙と箸の代わりにフォークとナイフを使うことが特別な意味をもっていた。



電気炊飯器:手軽さを得て、消えたお焦げ

韓国では、1970年代に入り、一部の家庭で座式台所から立式台所に改良し、流し台と食卓が置かれ、冷蔵庫、電気炊飯器を使われ始めた。高価な冷蔵庫が一般の家庭に普及されるまでには、かなり時間を要したが、これは食べ物の保管方法に大きな変化を起こした。また電気炊飯器も米を炊くことに大きな変化を起こした。火を焚き、火の強さを調整しながらご飯を炊いていた既存の方式とは違い、電気炊飯器を利用して、簡便にご飯を炊くことは、食卓に大きな変化を及ぼした。また電気保温炊飯器が登場することで、ご飯をあたためて長く保存できるようになった。電気炊飯器でご飯を炊くことで便利さは増したが、お焦げやお焦げの湯(スンニュン)は飯膳からほとんど消えていった。



おでんと焼肉:定着と変化を経て落ち着いた日·韓の食

韓国と日本には、互いに影響を与えあった食べ物がある。 「kim-chiとki-mu-chiキムチ」、「たくあんづけとタンムジ」、「プルコギと焼肉」、「おでん」、「ラーメン」などのように、他の国から伝わてから 時間が経ち、各国の特性に合わせられた場合が例である。おでんは日本から韓国に渡って来た食べ物で、韓国ではぽかぽかしてさっぱりしているスープを飲んでいるが、日本ではさつま揚げ、昆布、大根、蒟蒻など具を食べている。焼肉は日本に渡っていた韓国のプルコギであるが、日本ではこれを調理するための日本式の調味料と無煙ロースターまで登場した。日本で始まったインスタントラーメンも、韓国人の口に合うように辛味のラーメンが開発され、韓国料理に定着した。このような日・韓の食は互いに伝わって定着と変化の過程を経て、 それぞれの国の料理に落ち着いた。



キムチチゲとラーメン:
境界を超えた日·韓の食


最近、韓国を訪れる日本人や、日本を訪れる韓国人の双方にとって、現地の料理を食べることが旅行の重要な目的の1つとなっている。他国の料理を楽しむ人々が徐々に増えて、ソウルの居酒屋や、東京の韓国料理屋が簡単にみつけられる。料理の名前も日本人は「キムチ鍋」を「キムチチゲ」に、韓国人は「ラミョン」を「ラーメン」と言うことも違和感がなくなってきた。また、日本の寺沢大介の漫画「将太の寿司 (韓国名:ミスター寿司王)」と韓国の許英萬(ホ・ヨンマン)の漫画「食客」を通じて、両国の若者たちは、互いの食について、徐々に関心を持ち始めた。そのため、日本と韓国のスーパーマーケットで相手国の食材を買うことは以前より容易になった。このように日・韓両国の食をめぐる文化の境界は徐々に崩れている。

掲載日 2015-12-15