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タイトル 金秀男(キム・スナム)を語る
会期 2016-04-06 ~ 2016-06-26
会場 ExhibitionⅠ

2015年、金秀男(1949~2006)作家の遺族は、彼の代表作など17万余点の写真を国立民俗博物館に寄贈した。今回の展示は、新たな寄贈資料を紹介し、寄贈文化の大事さを知らせるために設けた寄贈写真特別展である。
金秀男作家は1970年代から2006年まで、30余年間、韓国全国のクッパン(クッの場)とアジア諸国を回り歩きながら、その現場を写真で記録した。彼は現場を記録するだけではなく、被写体の生の中に入り込んで、彼らと笑い合って、楽しんで、哀しんだ。
時にはカメラを置いて、クッを頼む人々と主管する人々の胸中を察しようとし、時には研究しながら、なぜクッを頼むのか、クッが生の中でどのような役割をしているのかについて考えた。そして、これを通じて人々の生と死に関して語りたかった。
今回の展示では彼が写真を通じて、みせようとしていた「生と死に関する物語」である。日常生活の中で、思わずに過ぎてしまう、その物語を金秀男の写真を通じて少しだけでも考えてみるきっかけになっていただければと思っている。


kim soo nam

[プロローグ]
金秀男について

[1部パネル]
生のはじまり
“死が生の始りであり、生の終りが死であること。”
1999年KCTV済州放送インタビュー中で

クッパン(クッの場)での死は、新たな生の始まる点としてみなされる。なぜならば、クッを頼んで生きられた者は哀しみを克服し、生を持続する力を得られるし、また、亡者は現世を終わらせて来世へ向かう転換点を迎えるためである。彼らを慰めて、互いにお別れを告げ、治癒する過程を経ると、死は終りではなく、生のはじまりになることである。


[2部パネル]
生のための祈願
“堂クッが開かれる日になると、彼らは間違いなくクッパンに集まって、クッを行い、1年の安寧と幸福を祈願する。”
1889年『ソウル堂クッ』写真作家のメモの中で

「クッは生きている者のためである」という言葉がある。なので、クッパンでは生のために多様な祈願をみることができる。出産・豊農豊魚・無事安寧・無病長寿など、それぞれ願うことを叶わせるために、たくさんの人々が集まり、豊かな供物を備えて祈願の場が開かれる。


[3部パネル]
生の境界にいる人々
“死と生の間、その線を引く線上にムーダン(巫堂)がいるためで、生きている人々が慰められ、行かれる人を良く送ること。”
1999年KCTV済州放送インタビュー中で

生と死の境界でクッを主管する人々がいる。彼らはムーダン(巫堂)・マンシン(万神)・バクスなどに呼ばれ、クッパンで他の人の生を撫でてあげる。クッを頼む人々と共に笑って、楽しんで、哀しみながら彼らの胸中を察する存在である。

掲載日 2016-04-11