, タイトル, 会期, 会場, 内容, カテゴリー, 掲載日, 파일 상세정보 입니다.
タイトル 霞帔帖、父母の香ばしい恩沢
会期 2016-05-04 ~ 2016-06-13
会場 ExhibitionⅢ

하피첩, 부모의 향기로운 은택



国立民俗博物館は、昨年9月『丁(チョン)若(ヤ)鏞(ギョン)筆蹟霞(ハ)帔(ピル)帖(チョプ)』(宝物1638‐2号、以下、霞帔帖)を購入した。その時、『霞帔帖』を皆が共有するようにという約束を、今回の展示を通じて実現された。
『霞帔帖』は、丁若鏞(1762~1836)が全羅南道康津郡に流刑(流配)された時に、妻である洪氏婦人が送ったチマ(スカート)に二人の息子のために教えとして書いた書帖である。この書帖には旦那として、そして父親としての丁若鏞が感じた家族に対する心配と切ない心がそっくりそのまま書いてある。特に『霞帔帖』は、物質主義や弱まっている家族関係が蔓延っている現在、家族の大事さと価値に対するメッセージを伝えている。今回の展示を通じて、丁若鏞が嘱したように「父母の香ばしい恩沢」を味得する時間になれば幸いである。


[1部パネル]
夫婦、そして父親と母親

夫婦は、家庭を築く最も小さい人間関係である。子は親の愛で生まれ育ち、その過程で夫婦は真の父親と母親になる。 丁若鏞は15歳のとき(1776年)、一歳の上の洪惠婉(ホンヘワン)(홍혜완)と結婚し、家庭を築いた。丁若鏞と洪氏婦人の関係は、丁若鏞が残した文にそのまま滲んでいる。丁若鏞と洪氏婦人が一緒に過ごした60年間は愛情で子供を育てた父親と母親としての時間であり、互いに内助者であった。


[2部パネル]
『霞帔帖』子供に残す親の心

父親と母親は、子供たちを愛して育てる。たとえ、やむを得ない事情で子供のそばにいてあげない状況であっても、子供たちが正しく育つことを願う心だけは切切の情である。
丁若鏞は1801年カトリックに関連の「黄嗣永帛書事件」で全羅南道康津郡に流刑された。彼が40歳に始まった流刑生活は18年の間続いていた。9人の子供がいたが、そのうち6人が3歳になる前に亡くなったことを考えてみると、残っていた3人子供に対する切ない心は理解できる。流刑に来て10年目(1810年)の丁若鏞は、父親として子供たちのそばにいてあげない切ない気持ちを妻から送ってきた色あせた赤いチマに書き込んで子供たちに伝えた。それが『霞帔帖』と『梅花併題図』である。二人の息子には士大夫としての行動と心構えを訓戒し、嫁入り娘には家庭の和平を祈願した。


[3部パネル]
子孫に伝えられた「霞帔」の墨の香り

親の愛で育った子供は、相手と出会って新たな家庭を築く。親の教えは新しい家庭から、次の世代の家庭に伝えられる。
丁若鏞は、1818年流刑地から解放され、婦人と再会し、妻のそばで学問に精進し、金剛婚式(結婚60周年)の日に世を去る。丁若鏞と洪惠婉の子供たちと子孫は、親が残した『霞帔帖』に込められた人生の価値観を実践した。文化的素養をもとに、実用的な学問を追求し、父親の文を研究しながら、その意を達するために力を尽くした。


[エピローグ]
今年は

今年は、丁若鏞がこの世を去って180周年になる年である。多くの時間は過ぎたが、『霞帔帖』の中に入り込んでいる父親と母親の心は相変わらず力を持っている。世間のすべての父親と母親は、家族の愛の中で子供たちが正しく育つことを願う。

掲載日 2016-05-09